巻次 - 496頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 常に起こして、能く善心を汚す。瞋嫌の心、能く法財を焼く。身心を苦励して、日夜十二時に急に走め急に作して、頭燃を灸うが如くすれども、衆て「雑毒の善」と名づく、亦「虚仮の行」と名づく、「真実の業」と名づけざるなり。此の雑毒の善を以て彼の浄土に回向する、此れ必ず不可なり。何を以ての故に。正しく、彼の如来、菩薩の行を行じたまいし時、乃至一念・一刹那も、三業の所修、皆是れ真実心の中に作したまうに由るが故に、疑蓋雑わること無し。如来、清浄真実の信楽を以て諸有の衆生に回向したまえり。 本願成就の文、『経』(大経)に言わく、「諸有の衆生、其の名号を聞きて信心歓喜せん」と。抄出 聖言、明らかに知りぬ。今、斯の心即ち是れ本願円満・清浄真実の信楽なり。是れを「信心」と名づく。信心即ち是れ大悲心なるが故に、疑蓋有ること無し。 三には「欲生」。即ち清浄真実の信心を以て欲生 漢文 瞋嫌之心、能焼法財。苦励身心、日夜十二時急走急作、如灸頭燃、衆名雑毒之善、亦名虚仮之行、不名真実業也。以此雑毒之善回向彼浄土、此必不可也。何以故。正由彼如来行菩薩行時、乃至一念一刹那、三業所修、皆是真実心中作故、疑蓋無雑。如来以清浄真実信楽回向諸有衆生。聖言、明知。今斯心即是本願円満清浄真実信楽。是名信心。信心即是大悲心故、無有疑蓋。三者欲生。即以清浄真実信心為欲生体。 紙面画像を印刷 前のページ p496 次のページ 初版p416・417へ このページの先頭に戻る