巻次 - 495頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 『経』(大経)に言わく、「欲覚・瞋覚・害覚を生ぜず。欲想・瞋想・害想を起こさず。色・声・香・味の法に着せず。忍力成就して衆苦を計らず。少欲知足にして染・恚・痴無し。三昧常寂にして智慧無碍なり。虚偽諂曲の心有ること無し。和顔愛語して、意を先にして承問す。勇猛精進にして、志願、倦きこと無し。専ら清白の法を求めて、以て群生を恵利しき。三宝を恭敬し、師長に奉事す。大荘厳を以て衆行を具足して、諸の衆生をして功徳成就せしめたまう」と。抄出 聖言、明らかに知りぬ。今、斯の心、是れ如来の清浄広大の至心なり。是れを「真実心」と名づく。至心は即ち是れ大悲心なるが故に、疑心有ること無し。 二には「信楽」。即ち是れ真実心を以て信楽の体とす。然るに、具縛の群萌、穢濁の凡愚、清浄の信心無し、真実の信心無し。是の故に、真実功徳、値い難く、清浄の信楽、獲得し難叵し。 之に依りて『釈』(散善義)の意を闚うに、愛心、 漢文 聖言、明知。今斯心是如来清浄広大至心。是名真実心。至心即是大悲心故、無有疑心。二者信楽。即是以真実心為信楽体。然具縛群萌穢濁凡愚、無清浄信心、無真実信心。是故真実功徳難値、清浄信楽難叵獲得。依之闚『釈』意、愛心常起、能汚善心。 紙面画像を印刷 前のページ p495 次のページ 初版p415・416へ このページの先頭に戻る