巻次 - 556頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 言えるが故に」(論)と。此れ云何が不思議なるや。『経』に言わく、「若し人、但、彼の国土の清浄安楽なるを聞きて、剋念して生まれんと願ずると、亦往生を得ると、即ち正定聚に入る。」此れは是れ国土の名字、仏事を為す。安んぞ思議すべきや。」乃至 「「荘厳眷属功徳成就は、偈に「如来浄華衆 正覚華化生」と言えるが故に」(論)と。此れ云何ぞ不思議なるや。凡そ是れ雑生の世界は、若しは胎、若しは卵、若しは湿、若しは化、眷属若干なり。苦楽万品なり。雑業を以ての故に。彼の安楽国土は、是れ阿弥陀如来の正覚浄華の化生する所に非ざること莫し。同一に念仏して別の道無きが故に。遠く通ずるに、夫れ四海の内、皆、兄弟とするなり。眷属無量なり。焉んぞ思議すべきや。」 又言わく(論註)、「往生を願ずる者、本は則ち三三の品なれども、今は一二の殊なること無し。亦淄澠 食陵の反 の一味なるが如し。焉んぞ思議すべきや。」已上 又、『論』(論註)に曰わく、「「荘厳清浄功徳成就は、偈に「観彼世界相 勝過三界道」と言えるが故に」(論)と。此れ云何ぞ不思議なるや。凡夫人の煩悩成就せる有りて、亦彼の浄土に生を得るに、三界の繫業、畢竟じて牽かず。則ち是れ煩悩を断ぜずして涅槃の分を得。焉んぞ思議すべきや。」已上抄要 この阿弥陀如来の往相回向の選択本願をみたてまつるなり。これを難思議往生ともうす。これをこころえて、「他力には義なきを義とす」としるべし。 紙面画像を印刷 前のページ p556 次のページ 初版p470へ このページの先頭に戻る