巻次
-
675頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

護念の御こころは、『大経』にもあらわれたり。また称名の本願は、選択の正因たること、この悲願にあらわれたり。この文のこころは、おもうほどはもうさず。これにておしはからせたまうべし。
 この文は、後善導法照禅師ともうす聖人の御釈なり。この和尚をば法道和尚と、慈覚大師はのたまえり。また『伝』には、廬山の弥陀和尚とももうす。浄業和尚とももうす。唐朝の光明寺の善導和尚の化身なり。このゆえに後善導ともうすなり。

「彼仏因中立弘誓 聞名念我総迎来 不簡貧窮将富貴 不簡下智与高才
 不簡多聞持浄戒 不簡破戒罪根深 但使回心多念仏 能令瓦礫変成金」(五会法事讃)

 「彼仏因中立弘誓」、このこころは、「彼」は、かのという。「仏」は、阿弥陀仏なり。「因中」は、法蔵菩薩ともうししときなり。「立弘誓」は、「立」は、たつという、なるという。「弘」は、ひろしという、ひろまるという。「誓」は、ちかいというなり。法蔵比丘、超世無上のちかいをおこして、ひろくひろめたまうともうすなり。超世は、よの仏の御ちかいにすぐれたまえりとなり。超は、こえたりというは、うえなしともうすなり。如来の、弘誓をおこしたまえるようは、この『唯信鈔』にくわしくあらわれたり。