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を証すとももうす。無為法身ともいう。滅度にいたるともいう。法性の常楽を証すとももうすなり。このさとりをうれば、すなわち大慈大悲きわまりて、生死海にかえりいりて、普賢の徳に帰せしむともうす。この利益におもむくを「来」という。これを法性のみやこへかえるともうすなり。「迎」というは、むかえたまうという。まつというこころなり。選択不思議の本願、無上智慧の尊号をききて、一念もうたがうこころなきを、真実信心というなり。金剛心ともなづく。この信楽をうるとき、かならず摂取してすてたまわざれば、すなわち正定聚のくらいにさだまるなり。このゆえに信心やぶれず、かたぶかず、みだれぬこと、金剛のごとくなるがゆえに、金剛の信心とはもうすなり。これを「迎」というなり。『大経』には「願生彼国 即得往生 住不退転」とのたまえり。「願生彼国」は、かのくににうまれんとねがえとなり。「即得往生」は、信心をうれば、すなわち往生すという。すなわち往生すというは、不退転に住するをいう。不退転に住すというは、すなわち正定聚のくらいにさだまるとのたまう御のりなり。これを「即得往生」とはもうすなり。「即」は、すなわちという。すなわちというは、ときをへず、日をへだてぬをいうなり。
 おおよそ十方世界にあまねくひろまることは、法蔵菩薩の四十八大願の中に、第十七の願に「十方無量の諸仏にわがなをほめられん、となえられん」とちかいたまえる一乗大智海の誓願、成就したまえるによりてなり。『阿弥陀経』の証誠護念のありさまにて、あきらかなり。証誠