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親鸞聖人血脈文集

(一) かさまの念仏者のうたがいとわれたる事
 それ、浄土真宗のこころは、往生の根機に他力あり、自力あり。このことすでに天竺の論家・浄土の祖師のおおせられたることなり。まず、自力と申すことは、行者のおのおのの縁にしたがいて、余の仏号を称念し、余の善根を修行して、わがみをたのみ、わがはからいのこころをもって、身・口・意のみだれごころをつくろい、めでとうしなして、浄土へ往生せんとおもうを、自力と申すなり。また、他力と申すことは、弥陀如来の御ちかいの中に、選択摂取したまえる第十八の念仏往生の本願を信楽するを、他力と申すなり。如来の御ちかいなれば、「他力には義なきを義とす」と、聖人(法然)のおおせごとにてありき。義ということは、はからうことばなり。行者のはからいは自力なれば、義というなり。他力は、本願を信楽して往生必定なるゆえに、さらに義なしとなり。
 しかれば、わがみのわるければ、いかでか如来むかえたまわんとおもうべからず。凡夫はもとより煩悩具足したるゆえに、わるきものとおもうべし。また、わがこころよければ往生すべしとおもうべからず。自力の御はからいにては真実の報土へうまるべからざるなり。「行者のおのおのの