巻次 - 785頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 をとらんこと。一室の行者のなかに、信心ことなることなからんために、なくなくふでをそめてこれをしるす。なづけて『歎異抄』というべし。外見あるべからず。後鳥羽院御宇、法然聖人、他力本願念仏宗を興行す。時に興福寺僧侶敵奏の上、御弟子中狼藉子細あるよし、無実風聞によりて罪科に処せらるる人数事。一 法然聖人幷御弟子七人流罪、又御弟子四人死罪におこなわるるなり。聖人は土佐国 番田 という所へ流罪、罪名藤井元彦男云々、生年七十六歳なり。親鸞は越後国、罪名藤井善信云々、生年三十五歳なり。浄円房 備後国、澄西禅光房 伯耆国、好覚房 伊豆国、行空法本房 佐渡国、幸西成覚房・善恵房二人、同じく遠流にさだまる。しかるに無動寺の善題大僧正、これを申しあずかると云々遠流の人々已上八人なりと云々死罪に行わるる人々。一番 西意善綽房二番 性願房三番 住蓮房四番 安楽房 紙面画像を印刷 前のページ p785 次のページ 初版p641・642へ このページの先頭に戻る