巻次 - 789頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 たし。悪人の往生、また、かけてもおもいよるべき報仏・報土にあらざれども、仏智の不可思議なる奇特をあらわさんがためなれば、五劫があいだこれを思惟し、永劫があいだこれを行じて、かかるあさましきものが、六趣・四生よりほかはすみかもなく、うかぶべき期なきがために、とりわきむねとおこされたれば、悪業に卑下すべからずと、すすめたまうむねあり。されば、おのれをわすれて、あおぎて仏智に帰するまことなくは、おのれがもつところの悪業、なんぞ浄土の生因たらん。すみやかにかの十悪・五逆・四重・謗法の悪因にひかれて、三途八難にこそしずむべけれ。なにの要にかたたん。しかれば、善も極楽にうまるるたねにならざれば、往生のためにはその要なし。悪もまたさきのごとし。しかれば、ただ機生得の善悪なり。かの土ののぞみ、他力に帰せずは、おもいたえたり。これによりて、善悪凡夫のうまるるは大願業力ぞと釈したまうなり。増上縁とせざるはなしというは、弥陀の御ちかいのすぐれたまえるにまされるものなしとなり。」(4)一 又のたまわく、「光明名号の因縁ということあり。弥陀如来四十八願のなかに第十二の願は、「わがひかりきわなからん」とちかいたまえり。これすなわち念仏の衆生を摂取のためなり。かの願、すでに成就して、あまねく無碍のひかりをもって十方微塵世界をてらしたまいて、衆生の煩悩悪業を長時にてらしまします。さればこのひかりの縁にあう衆生、ようやく無明の昏闇うすくなりて、宿善のたね萌すとき、まさしく報土にうまるべき第十八の念仏往生の願因の名号をきくなり。しかれば、名号執持すること、さらに自力にあらず。ひとえに光明にもよおさるるにより 紙面画像を印刷 前のページ p789 次のページ 初版p644・645へ このページの先頭に戻る