巻次 - 832頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 きによりて、まねかざれどもひとをまよわすまじき法燈には、かならずむつぶべきいわれなり。宿善なき機は、まねかざれどもおのずから悪知識にちかづきて、善知識にはとおざかるべきいわれなれば、むつばるるも、とおざかるも、かつは知識の瑕瑾もあらわれしられぬべし。所化の運否、宿善の有無も、尤も能所共に恥ずべきものをや。しかるに、このことわりにくらきがいたすゆえか。一旦の我執をさきとして宿縁の有無をわすれ、わが同行、ひとの同行と相論すること愚鈍のいたり、仏祖の照覧をはばからざる条、至極つたなきものか、いかん。しるべし。(9)一 念仏する同行、知識にあいしたがわずんば、その罰をこうぶるべきよしの起請文をかかしめて、数箇条の篇目をたてて連署と号する、いわれなき事。 まず数か条のうち、知識をはなるべからざる由の事。 祖師聖人御在世のむかし、よりよりかくのごときの義を至す人ありけり。御制のかぎりにあらざる条、過去の宿縁に任せられて、かつて、その御沙汰なきよし、先段にのせおわりぬ。また子細、かの段に違すべからず。 次に、本尊・聖教をうばいとりたてまつらん時、おしみ奉るべからざるよしの事。またもって同前、さきに違すべからず。 つぎに、堂をつくらんとき、義をいうべからざるよしの事。 おおよそ造像・起塔等は、弥陀の本願にあらざる所行なり。これによりて一向専修の行人、これ 紙面画像を印刷 前のページ p832 次のページ 初版p683・684へ このページの先頭に戻る