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 この条、おなじく前段の篇目にあいおなじきものか。大師聖人の御自筆をもって諸人にかきあたえわたしまします聖教をみたてまつるに、みな願主の名をあそばされたり。いまの新義のごとくならば、もっとも聖人の御名をのせらるべきか。しかるに、その義なきうえは、これまた非義たるべし。これを案ずるに、知識の所存に同行あいそむかんとき、「わが名字をのせたれば」とて、せめかえさん料のはかりごとか。世間の財宝を沙汰するににたり。もっとも停止すべし。
(8)一 わが同行、ひとの同行と、嫌別してこれを相論する、いわれなき事。
 曾祖師 源空 聖人の『七箇条の御起請文』にいわく、「諍論のところには、もろもろの煩悩おこる。智者これを遠離すること百由旬、いわんや一向念仏の行人においてをや」と云々 しかれば、ただ是非を糺明し邪正を問答する、なおもってかくのごとく厳制におよぶ。いわんや人倫をもって、もし世財に類する所存ありて相論せしむるか。いまだその心をえず。祖師聖人御在世に、ある御直弟のなかに、つねにこの沙汰ありけり。そのとき、仰せに云わく、世間の妻子眷属もあいしたがうべき宿縁あるほどは、別離せんとすれども捨離するにあたわず。宿縁つきぬるときは、したいむつれんとすれどもかなわず。いわんや出世の同行等侶においては、凡夫の力をもってしたしむべきにもあらず、はなるべきにもあらず。あいともなうというとも、縁つきぬれば疎遠になる。したしまじとすれども縁つきざるほどは、あいともなうにたれり。これみな過去の因縁によることなれば、今生一世のことにあらず。かつはまた、宿善のある機は、正法をのぶる善知識にしたしむべ