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は、「七宝のはなのなかにおいて、自然に化生し跏趺してしかも坐す。須臾のあいだには、身相・光明・智恵・功徳、もろもろの菩薩のごとくして具足し成就す」となり。これ仏智を信ずるものの生ずるところなり。
 問うていわく、なにによりてかいまいうところの胎生をもって、すなわち辺地とこころうべきや。
 こたえていわく、「胎生」といい、「辺地」といえる、そのことばことなれども別にあらず。『略論』(略論安楽浄土義)のなかにいまひくところの『大経』の文をいだして、これを結するに、「謂之辺地 亦曰胎生」といえり。「かくのごとく宮殿のなかに処するをもって、これを辺地ともいい、または、胎生ともなづく」となり。またおなじき釈のなかに、「辺言其難 胎言其闇」といえり。こころは、「「辺」はその難をいい、「胎」はその闇をいう」となり。これすなわち、報土のうちにあらずして、そのかたわらなる義をもっては、「辺地」という。これその難をあらわすことばなり。また仏をみたてまつらず法をきかざる義については、「胎生」という。これそのくらきことをいえる名なりというなり。されば辺地にうまるるものは、五百歳のあいだ、仏をもみたてまつらず、法をもきかず、諸仏にも歴事せず。報土にうまるるものは、一念須臾のあいだに、もろもろの功徳をそなえて、如来の相好をみたてまつり、甚深の法門をきき、一切の諸仏に歴事供養して、こころのごとく自在をうるなり。諸行と念仏と、その因おなじからざれば、胎生と化生と勝劣はるかにことなるべし。しかればすなわちその行因をいえば、諸行は難行なり、念仏は易行なり。はやく難