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行をすてて易行に帰すべし。その益を論ずれば、来迎は方便なり、得生は真実なり。もっとも方便にとどまらずして真実をもとむべし。いかにいわんや、来迎は不定の益なり。「仮令不与 大衆囲繞」(大経)ととくがゆえに。得生は決定の益なり。「若不生者 不取正覚」(同)というがゆえに。その果処をいえば、胎生は化土の往生なり、化生は報土の往生なり。もっぱら化土の往生を期せずして、直に報土の無生をうべきものなり。されば真実報土の往生をとげんとおもわば、ひとえに弥陀如来の不思議の仏智を信じて、もろもろの雑行をさしおきて、専修専念・一向一心なるべし。第十八の願には諸行をまじえず、ひとえに念仏往生の一道をとけるゆえなり。
 問うていわく、一流の義きこえおわりぬ。それにつきて信心をおこし往生をえんことは、善知識のおしえによるべしということ、かみにきこえき。しからば、善知識といえる体をば、いかがこころうべきや。
 こたえていわく、総じていうときは、真の善知識というは諸仏・菩薩なり。別していうときは、われに法をあたえたまえるひとなり。いわゆる『涅槃経』にいわく、「諸仏菩薩名知識 善男子 譬如船師 善度人故 名船師 諸仏菩薩 亦復如是 度諸衆生 生死大海 以是義故 名善知識」といえり。この文のこころは、「もろもろの仏・菩薩を善知識となづく。善男子。たとえば船師の、よくひとをわたすがごとし。かるがゆえに大船師となづく。もろもろの仏・菩薩もまたまたかくのごとし。もろもろの衆生をして生死の大海を度す。この義をもってのゆえに善知識となづく」となり。