巻次 上本 879頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 本願寺聖人伝絵 上本 (御伝鈔) 夫れ、聖人の俗姓は藤原氏、天児屋根尊二十一世の苗裔、大織冠 鎌子内大臣 の玄孫、近衛大将右大臣 贈左大臣 従一位内麿公 後長岡大臣と号し、或いは閑院大臣と号す。贈正一位太政大臣房前公の孫、大納言式部卿真楯の息なり。 六代の後胤、弼宰相有国卿五代の孫、皇太后宮大進有範の子なり。しかあれば、朝廷に仕えて霜雪をも戴き、射山に趨って栄花をも発くべかりし人なれども、興法の因、うちに萌し、利生の縁、ほかに催いしによりて、九歳の春の比、阿伯従三位範綱卿 時に従四位上前若狭守、後白河上皇の近臣なり。聖人の養父。 前大僧正 慈円、慈鎮和尚是れなり。法性寺殿の御息、月輪殿の長兄。 の貴房へ相具したてまつりて、鬢髪を剃除したまいき。範宴少納言公と号す。自爾以来、しばしば南岳天台の玄風をとぶらいて、ひろく三観仏乗の理を達し、とこしなえに楞厳横河の余流をたたえて、ふかく四教円融の義に明らかなり。(絵) 建仁第三の暦、春のころ 聖人二十九歳 隠遁のこころざしにひかれて、源空聖人の吉水の禅房に尋ね参りたまいき。是れ則ち、世くだり、人つたなくして、難行の小路、まよいやすきによりて、易行の大道におもむかんとなり。真宗紹隆の大祖聖人、ことに宗の淵源をつくし、教の 紙面画像を印刷 前のページ p879 次のページ 初版p724へ このページの先頭に戻る