巻次 末 878頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 いわゆる『涅槃経』には「一切梵行の因は善知識なり。一切梵行の因無量なりといえども、善知識をとけばすなわちすでに摂在しぬ」といい、『華厳経』には「なんじ善知識を念ぜよ。われを生ずること父母のごとし。われをやしなうこと乳母のごとし。菩薩分を増長す」といえり。このゆえに、ひとたびそのひとにしたがいて仏法を行ぜんひとは、ながくそのひとをまもりて、かのおしえを信ずべきなり。浄土真要鈔 広末永享十年 戊午 八月十五日奉書写之畢 右筆蓮如大谷本願寺上人之御流之聖教也 本願寺住持存如(花押) 紙面画像を印刷 前のページ p878 次のページ 初版p722・723へ このページの先頭に戻る