巻次
第二帖
940頁
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おもいつめて、ふかく如来に帰入する心をもつべし。さてこの信ずる心も念ずる心も、弥陀如来の御方便よりおこさしむるものなりとおもうべし。かようにこころうるを、すなわち他力の信心をえたる人とはいうなり。又このくらいを、あるいは「正定聚に住す」とも、「滅度にいたる」とも、「等正覚にいたる」とも、「弥勒にひとし」とも申すなり。又これを、一念発起の往生さだまりたる人とも申すなり。かくのごとく心えてのうえの称名念仏は、弥陀如来の、我らが往生をやすくさだめ給える、その御うれしさの御恩を報じたてまつる念仏なりとこころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

 これについて、まず当流のおきてをよくよくまもらせ給うべし。そのいわれは、あいかまえて、いまのごとく信心のとおりを心え給わば、身中にふかくおさめおきて、他宗他人に対してそのふるまいをみせずして、又信心のようをもかたるべからず。一切の諸神なんどをも、わが信ぜぬまでなり、おろかにすべからず。かくのごとく、信心のかたもそのふるまいもよき人をば、聖人も、よく心えたる信心の行者なりとおおせられたり。ただふかくこころをば仏法にとどむべきなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明第五、十二月八日、これをかきて当山の多屋内方へまいらせ候う。このほかなおなお不審の事候わば、かさねてとわせたまうべく候う。

寒暑を送る所、五十八歳御判