巻次
第二帖
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心のとおりをもって心底におさめおきて、他宗他人に対して沙汰すべからず。また、路次・大道、われわれの在所なんどにても、あらわにひとをもはばからず、これを讃嘆すべからず。つぎには、守護・地頭方にむきても、われは信心をえたりといいて、疎略の義なく、いよいよ公事をまったくすべし。また諸神・諸仏・菩薩をもおろそかにすべからず。これみな南無阿弥陀仏の六字のうちにこもれるがゆえなり。ことに、ほかには王法をもっておもてとし、内心には他力の信心をふかくたくわえて、世間の仁義をもって本とすべし。これすなわち当流にさだむるところのおきてのおもむきなりとこころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明六年二月十七日、之を書く。

(七) 静かにおもんみれば、それ人間界の生をうくることは、まことに五戒をたもてる功力によりてなり。これおおきにまれなることぞかし。ただし、人界の生はわずかに一旦の浮生なり。後生は永生の楽果なり。たといまた栄花にほこり栄耀にあまるというとも、盛者必衰会者定離のならいなれば、ひさしくたもつべきにあらず。ただ五十年百年のあいだのことなり。それも老少不定ときくときは、まことにもってたのみすくなし。これによりて、今の時の衆生は、他力の信心をえて浄土の往生をとげんとおもうべきなり。
 そもそも、その信心をとらんずるには、さらに智慧もいらず才学もいらず、富貴も貧窮もいらず、善人も悪人もいらず、男子も女人もいらず、ただもろもろの雑行をすてて正行に帰するをもって