巻次
第二帖
946頁
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力の安心決定せしめたる分なし。そのゆえは、珠数の一連をも、もつひとなし。さるほどに仏をば手づかみにこそせられたり。聖人、まったく、珠数をすてて仏をおがめとおおせられたることなし。さりながら、珠数をもたずとも、往生浄土のためには、ただ他力の信心ひとつばかりなり。それにはさわりあるべからず。まず大坊主分たるひとは、袈裟をもかけ、珠数をもちても子細なし。これによりて真実信心を獲得したるひとは、かならず口にもいだし、またいろにもそのすがたはみゆるなり。しかれば、当時は、さらに真実信心をうつくしくえたるひと、いたりてまれなりとおぼゆるなり。それはいかんぞなれば、弥陀如来の本願の、われらがために相応したるとうとさのほども、身にはおぼえざるがゆえに、いつも信心のひととおりをば、われこころえがおのよしにて、なにごとを聴聞するにも、そのこととばかりおもいて、耳へもしかしかともいらず、ただひとまねばかりの体たらくなりとみえたり。この分にては、自身の往生極楽も、いまはいかがとあやうくおぼゆるなり。いわんや門徒・同朋を勧化の儀も、なかなかこれあるべからず。かくのごときの心中にては、今度の報土往生も不可なり。あらあら勝事や。ただふかくこころをしずめて思案あるべし。まことにもって人間は、いずるいきは、いるをまたぬならいなり。あいかまえて由断なく仏法をこころにいれて、信心決定すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明六、二月十六日、早朝に俄に筆を染め畢りぬのみ。

(六) 抑も、当流の他力信心のおもむきをよく聴聞して、決定せしむるひとこれあらば、その信