巻次 - 111頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 と想え。水鳥・樹林および諸仏の所出の音声、みな妙法を演ぶ。十二部経と合して、出定の時憶持して失せず。この事を見已るを「無量寿仏の極楽世界を見る」と名づく。これを「普観想」とす、「第十二の観」と名づく。無量寿仏、化身無数なり。観世音・大勢至と、常にこの行人の所に来至す。」 仏、阿難および韋提希に告げたまわく、「もし心を至して西方に生ぜんと欲せん者は、先ず当に一つの丈六の像を観じて池水の上に在くべし。先の所説のごときは、無量寿仏、身量無辺にして、これ凡夫の心力の及ぶところにあらず。然るを、かの如来の宿願力のゆえに、憶想することあれば、必ず成就することを得。但し仏像を想うに、無量の福を得。何にいわんや仏の具足の身相を観ぜんをや。阿弥陀仏、神通如意にして、十方の国において変現自在なり。あるいは大身を現じて虚空の中に満ち、あるいは小身を現じて丈六八尺なり。所現の形、みな真金色なり。円光・化仏および宝蓮華、上の所説のごとし。観世音菩薩および大勢至、一 漢文 満虚空中。水鳥樹林 及与諸仏 所出音声、皆演妙法。与十二部経合、出定之時、憶持不失。見此事已、名見無量寿仏 極楽世界。是為普観想、名第十二観。無量寿仏、化身無数。与観世音 大勢至、常来至此 行人之所。仏告阿難 及韋提希。若欲至心 生西方者、先当観於 一丈六像 在池水上。如先所説、無量寿仏 身量無辺、非是凡夫 心力所及。然彼如来 宿願力故、有憶想者、必得成就。但想仏像、得無量福。何況観仏 具足身相。阿弥陀仏、神通如意、於十方国、変現自在。或現大身、満虚空中、或現小身、丈六八尺。所現之形、皆真金色。円光化仏 及宝蓮華、如上所説。観世音菩薩 及大勢 紙面画像を印刷 前のページ p111 次のページ 第二版p120・121へ このページの先頭に戻る