巻次
真仏土
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をして摂したまうところなり。」
 また云わく、「自利利他を示現すというは、略してかの阿弥陀仏の国土の十七種の荘厳功徳成就を説きつ、如来の自身利益大功徳力成就と、利益他功徳成就とを示現したまえるがゆえに」(論)とのたまえり。略と言うは、かの浄土の功徳無量にして、ただ十七種のみにあらざることを彰すなり。それ須弥を芥子に入れ、毛孔に大海を納む。あに山海の神ならんや、毛芥の力ならんや、能神の者の神ならくのみ、と。
 また云わく、「何者か荘厳不虚作住持功徳成就。「偈」に「仏の本願力を観ずるに、遇うて空しく過ぐる者なし、よく速やかに功徳の大宝海を満足せしむる」がゆえにと言えり」(論)。「不虚作住持功徳成就」は、蓋しこれ阿弥陀如来の本願力なり。乃至 言うところの不虚作住持は、本法蔵菩薩の四十八願と、今日の阿弥陀如来の自在神力とに依ってなり。願もって力を成ず、力もって願に就く。願徒然ならず、力虚設ならず。力・願あい府うて畢竟じて差わず。かるがゆえに成就と曰う、と。抄出
 『讃阿弥陀仏偈』に曰わく、 曇鸞和尚造 南無阿弥陀仏、 釈して『無量寿傍経』と名づく。賛め奉りてまた安養と曰う。
 成仏より已来十劫を歴たまえり。寿命まさに量あることなけん。法身の光輪法界に遍じて、世の盲冥を照らす。かるがゆえに頂礼したてまつる。智慧の光明量るべからず。かるがゆえに仏をまた無量光と号す。有量の諸相、光暁を蒙る。このゆえに真実明を稽首したてまつる。解脱の光輪限斉なし。かるがゆえに仏をまた無辺光と号す。光触を蒙る者、有無を離る。このゆえに平等覚を稽首したてまつる。光雲のごとくにして、無碍な