巻次 - 477頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 者 不取菩提」文 この悲願は、すなわち、真実信楽をえたる人は決定して等正覚にならしめんとちかいたまえりとなり。等正覚は、すなわち正定聚のくらいなり。等正覚ともうすは、補処の弥勒菩薩とおなじからしめんとちかいたまえるなり。これらの選択本願は、法蔵菩薩の不思議の弘誓なり。しかれば真実信心の念仏者は、『大経』には「次如弥勒」とのたまえり。これらの大誓願を、往相の回向ともうすとみえたり。弥勒菩薩とおなじといえりと『龍舒浄土文』にはあらわせり。 二つに、還相回向というは、『浄土論』に曰わく、「以本願力回向故、是名出第五門」これはこれ還相の回向なり。このこころは、一生補処の大願にあらわれたり。大慈大悲誓願は、『大経』にのたまわく、「設我得仏、他方仏土諸菩薩衆、来生我国、究竟必至一生補処。除其本願自在所化、為衆生故、被弘誓鎧、積累徳本、度脱一切、遊諸仏国、修菩薩行、供養十方諸仏如来、開化恒沙無量衆生、使立無上正真之道。超出常倫、諸地之行現前、修習普賢之徳。若不爾者、不取正覚」文 これは如来の還相回向の御ちかいなり。これは他力の還相の回向なれば、自利・利他ともに行者の願楽にあらず。法蔵菩薩の誓願なり。「他力には義なきをもって義とす」と、大師聖人はおおせごとありき。よくよくこの選択悲願をこころえたまうべし。正嘉元年 丁巳 閏三月二十一日書写之 紙面画像を印刷 前のページ p477 次のページ 第二版p566・567へ このページの先頭に戻る