巻次
-
574頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

往生にさわりなければとて、ひがごとをこのむべしとは、もうしたることそうらわず。かえすがえす、こころえずおぼえそうろう。詮ずるところ、ひがごともうさんひとは、その身ひとりこそ、ともかくもなりそうらわめ、すべてよろずの念仏者のさまたげとなるべしとは、おぼえずそうろう。また、念仏をとどめんひとは、そのひとばかりこそいかにもなりそうらわめ、よろずの念仏するひとのとがとなるべしとは、おぼえずそうろう。「五濁増時多疑謗 道俗相嫌不用聞 見有修行起瞋毒 方便破壊競生怨」(法事讃)と、まのあたり善導の御おしえそうろうぞかし。釈迦如来は、「名無眼人 名無耳人」と、とかせたまいてそうろうぞかし。かようなるひとにて、念仏をもとどめ、念仏者をもにくみなんどすることにてもそうろうらん。それは、かのひとをにくまずして、念仏を、ひとびともうして、たすけんとおもいあわせたまえとこそ、おぼえそうらえ。あなかしこ、あなかしこ。

九月二日     親鸞

慈信坊 御返事

 (一〇の追申) 入信坊・真浄坊・法信坊にも、このふみをよみきかせたまうべし。かえすがえす、不便のことにそうろう。性信坊には、春のぼりてそうらいしに、よくよくもうしてそうろう。くげどのにも、よくよくよろこびもうしたまうべし。このひとびとの、ひがごとをもうしおうてそうらえばとて、道理をばうしなわれそうらわじとこそおぼえそうらえ。世間のことにもさることのそうろうぞかし。領家・地頭・名主のひがごとすればとて、百姓をまどわすことはそうらわぬぞかし。仏法をばやぶるひとなし。仏法者