巻次 - 703頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 そ、信願坊がもうしようとはこころえずそうろう。往生にさわりなければとて、ひがごとをこのむべしとは、もうしたることそうらわず。かえすがえす、こころえずおぼえそうろう。詮ずるところ、ひがごともうさんひとは、その身ひとりこそ、ともかくもなりそうらわめ、すべてよろずの念仏者のさまたげとなるべしとは、おぼえずそうろう。 また、念仏をとどめんひとは、そのひとばかりこそ、いかにもなりそうらわめ、よろずの念仏するひとのとがとなるべしとは、おぼえずそうろう。「五濁増時多疑謗 道俗相嫌不用聞 見有修行起瞋毒 方便破壊競生怨」(法事讃)と、まのあたり善導の御おしえそうろうぞかし。釈迦如来は、「名無眼人 名無耳人」と、とかせたまいてそうろうぞかし。かようなるひとにて、念仏をもとどめ、念仏者をもにくみなんどすることにてもそうろうらん。それは、かのひとをにくまずして、念仏を、ひとびともうして、たすけんとおもいあわせたまえとこそ、おぼえそうらえ。あなかしこ、あなかしこ。九月二日 親鸞慈信坊 御返事(一〇の追伸) 入信坊・真浄坊・法信坊にも、このふみをよみきかせたまうべし。かえすがえす、不便のことにそうろう。性信坊には、春のぼりてそうらいしに、よくよくもうしてそうろう。くげどのにも、よくよくよろこびもうしたまうべし。このひとびとの、ひがごとをもうしおうて 紙面画像を印刷 前のページ p703 次のページ 初版p573・574へ このページの先頭に戻る