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そうらえばとて、道理をばうしなわれそうらわじとこそおぼえそうらえ。世間のことにも、さることのそうろうぞかし。領家・地頭・名主の、ひがごとすればとて、百姓をまどわすことはそうらわぬぞかし。仏法をばやぶるひとなし。仏法者のやぶるにたとえたるには、「師子の身の中の虫の、師子をくらうがごとし」とそうらえば、念仏者をば仏法者のやぶりさまたげそうろうなり。よくよくこころえたまうべし。なおなお御ふみにはもうしつくすべくもそうらわず。

(一一) 九月二十七日の御ふみ、くわしくみそうらいぬ。さては、御こころざしの銭五貫文、十一月九日にたまわりてそうろう。さては、いなかのひとびと、みなとしごろ念仏せしは、いたずらにてありけりとて、かたがた、ひとびと、ようようにもうすなることこそ、かえすがえす不便のことにてきこえそうらえ。ようようのふみどもをかきてもてるを、いかにみなしてそうろうやらん。かえすがえすおぼつかなくそうろう。
 慈信坊(善鸞)のくだりて、わがききたる法文こそ、まことにてはあれ、ひごろの念仏は、みないたずらごとなりとそうらえばとて、おおぶの中太郎のかたのひとびとは、九十なん人とかや、みな慈信坊のかたへとて、中太郎入道をすてたるとかやききそうろう。いかなるようにて、さようにはそうろうぞ。詮ずるところ、信心のさだまらざりけるとききそうろう。いかようなることにて、さほどにおおくのひとびとの、たじろきそうろうらん。不便のようとききそうろう。また、かようのきこえなんどそうらえば、そらごともおおくそうろうべし。また、親鸞も偏頗あるものとききそうら