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ばして候うなり。かるがゆえにそれよりの御ふみをまいらせ候う。あるいは阿弥陀といい、あるいは無碍光ともうし、御名ことなりといえども、心は一なり。阿弥陀というは、梵語なり。これには無量寿ともいう、無碍光とももうし候う。梵漢ことなりといえども、心おなじく候うなり。そもそも、覚信坊の事ことにあわれにおぼえ、またとうとくもおぼえ候う。そのゆえは、信心たがわずしておわられて候う。またたびたび、信心ぞんじのよういかようにかと、たびたびもうし候いしかば、当時までは、たがうべくも候わず。いよいよ信心のようはつよくぞんずるよし候いき。のぼり候いしに、くにをたちてひといちともうししとき、やみいだして候いしかども、同行たちはかえれなんどもうし候いしかども、「死するほどのことならば、かえるとも死し、とどまるとも死し候わんず。また、やまいはやみ候わば、かえるともやみ、とどまるともやみ候わんず。おなじくは、みもとにてこそおわり候わばおわり候わめとぞんじて、まいりて候うなり」と、御ものがたり候いしなり。この御信心まことにめでたくおぼえ候う。善導和尚の『釈』(散善義)の二河の譬喩におもいあわせられて、よにめでたくぞんじ、うらやましく候うなり。おわりのとき、「南無阿弥陀仏、南無無碍光如来、南無不可思議光如来」と、となえられて、てをくみてしずかにおわられて候いしなり。また、おくれさきだつためしは、あわれになげかしくおぼしめされ候うとも、さきだちて滅度にいたり候いぬれば、かならず最初引接のちかいをおこして、結縁・眷属・朋友をみちびくことにて候うなれば、しかるべくおなじ法文の門にいりて候えば、蓮位もたのもしくおぼえ候う。また、おやとなりことなるも、先世のちぎりともうし候えば、たのもしくおぼしめさるべく候うなり。このあわれさ、とうとさ、もうしつくしがたく候えば、とどめ候いぬ。いかにしてかみずからこのことをもうし候うべきや。くわしくはなおなおもうし候うべく候う。このふみのようを、御まえにて、あしくもや候うとて、よみあげて候えば、「これに過ぐべくも候わず、めでたく候う」と、おおせをかぶりて候うなり。ことに、覚信坊のところに、御なみだをながさせたまいて候うなり。よにあわれにおもわせたまいて候うなり。