巻次 - 588頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 十月廿九日慶信御坊へ 蓮位(二) 二の㋑一 無碍光如来の慈悲光明に摂取せられまいらせ候うゆえ、名号をとなえつつ、不退のくらいにいりさだまり候いなんには、このみのために、摂取不捨をはじめてたずぬべきにはあらずとおぼえられて候う。そのうえ、『華厳経』に、「聞此法歓喜信心無疑者 速成無上道 与諸如来等」とおおせられて候う。また、第十七の願に「十方無量の諸仏にほめとなえられん」とおおせられて候う。また、願成就の文に、「十方恒沙の諸仏」とおおせられて候うは、信心の人とこころえて候う。この人はすなわち、このよより如来とひとしとおぼえられ候。このほかは、凡夫のはからいをばもちいず候うなり。このようをこまかにおおせかぶり給うべく候う。恐々謹言。二月十二日 浄信二の㋺ 如来の誓願を信ずる心のさだまる時と申すは、摂取不捨の利益にあずかるゆえに、不退の位にさだまると御こころえ候うべし。真実信心さだまると申すも、金剛信心のさだまると申すも、摂取不捨のゆえに申すなり。さればこそ、無上覚にいたるべき心のおこると申すなり。これを、不退のくらいとも、正定聚のくらいにいるとも申し、等正覚にいたるとも申すなり。このこころのさだまるを、十方諸仏のよろこびて、諸仏の御こころにひとしとほめたまうなり。このゆえに、まことの信心の人をば、諸仏とひとしと申すなり。また、補処の弥勒とおなじとも申すなり。このよにて、真実信心の人をまぼらせ給えばこそ、『阿弥陀経』には、十方恒沙 紙面画像を印刷 前のページ p588 次のページ 第二版p719・720へ このページの先頭に戻る