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十月廿九日
慶信御坊へ     蓮位

(二) 二の㋑

一 無碍光如来の慈悲光明に摂取せられまいらせ候うゆえ、名号をとなえつつ、不退のくらいにいりさだまり候いなんには、このみのために、摂取不捨をはじめてたずぬべきにはあらずとおぼえられて候う。そのうえ、『華厳経』に、「聞此法歓喜信心無疑者 速成無上道 与諸如来等」とおおせられて候う。また、第十七の願に「十方無量の諸仏にほめとなえられん」とおおせられて候う。また、願成就の文に、「十方恒沙の諸仏」とおおせられて候うは、信心の人とこころえて候う。この人はすなわち、このよより如来とひとしとおぼえられ候。このほかは、凡夫のはからいをばもちいず候うなり。このようをこまかにおおせかぶり給うべく候う。恐々謹言。

二月十二日     浄信

二の㋺

 如来の誓願を信ずる心のさだまる時と申すは、摂取不捨の利益にあずかるゆえに、不退の位にさだまると御こころえ候うべし。真実信心さだまると申すも、金剛信心のさだまると申すも、摂取不捨のゆえに申すなり。さればこそ、無上覚にいたるべき心のおこると申すなり。これを、不退のくらいとも、正定聚のくらいにいるとも申し、等正覚にいたるとも申すなり。このこころのさだまるを、十方諸仏のよろこびて、諸仏の御こころにひとしとほめたまうなり。このゆえに、まことの信心の人をば、諸仏とひとしと申すなり。また、補処の弥勒とおなじとも申すなり。このよにて、真実信心の人をまぼらせ給えばこそ、『阿弥陀経』には、十方恒沙