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の諸仏護念すとは申す事にて候え。安楽浄土へ往生してのちはまもりたまう、と申すことにては候わず、娑婆世界(に)いたるほど護念すと申す事なり。信心まことなる人のこころを、十方恒沙の如来のほめたまえば、仏とひとしとは申す事なり。また、他力と申すことは、義なきを義とすと申すなり。義と申すことは、行者のおのおののはからう事を義とは申すなり。如来の誓願は不可思議にましますゆえに、仏と仏との御はからいなり。凡夫のはからいにあらず。補処の弥勒菩薩をはじめとして、仏智の不思議をはからうべき人は候わず。しかれば、如来の誓願には義なきを義とすとは、大師聖人の仰せに候いき。このこころのほかには往生にいるべきこと候わず、とこころえてまかりすぎそうらえば、人の仰せごとにはいらぬものにて候うなり。諸事恐々謹言。

二の㋩

 安楽浄土にいりはつれば、すなわち、大涅槃をさとるとも、滅度にいたるとももうすは、み名こそかわりたるようなれども、これはみな法身ともうす仏となるなり。法身ともうす仏をさとりひらくべき正因に、弥陀仏の御ちかいを、法蔵菩薩われらに回向したまえるを、往相の回向ともうすなり。この回向せさせたまえる願を、念仏往生の願とはもうすなり。この念仏往生の願を一向に信じてふたごころなきを、一向専修ともうすなり。如来の二種の回向ともうすことは、この二種の回向の願を信じ、ふたごころなきを、真実の信心ともうす。この真実の信心のおこることは、釈迦・弥陀の二尊の御はからいよりおこりたりとしらせたまうべく候う。あなかしこ、あなかしこ。