巻次
-
590頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

二月廿五日     親鸞

浄信御坊御返事
(三) 一 この御ふみのようくわしくもうしあげてそうろう―――『善性本御消息集』㈠㋑・㋺・㋩の次に移して掲載した。この一通は、慶信の上書に対する聖人の御加筆および慶信の追申に対する聖人の御返信などについて蓮位が慶信に書き送った添状であるから、いま便宜上、前記の位置に掲げた。
(四) たずねおおせられてそうろう摂取不捨の事は、『般舟三昧行道往生讃』と申すにおおせられて候うをみまいらせ候えば、「釈迦如来・弥陀仏、われらが慈悲の父母にて、さまざまの方便にて、我等が無上信心をばひらきおこさせ給う」と候えば、まことの信心のさだまる事は、釈迦・弥陀の御はからいとみえて候う。往生の心うたがいなくなり候うは、摂取せられまいらするゆえとみえて候う。摂取のうえには、ともかくも行者のはからいあるべからず候う。浄土へ往生するまでは、不退のくらいにておわしまし候えば、正定聚のくらいとなづけておわします事にて候うなり。まことの信心をば、釈迦如来・弥陀如来二尊の御はからいにて、発起せしめ給い候うとみえてそうらえば、信心のさだまると申すは、摂取にあずかる時にて候うなり。そののちは、正定聚のくらいにて、まことに浄土へうまるるまでは、候うべしとみえ候うなり。ともかくも、行者のはからいをちりばかりもあるべからず候えばこそ、他力と申す事にて候え。あなかしこ、あなかしこ。

十月六日     親鸞(花押)

しのふの御房の御返事