巻次 - 721頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 ず。しかれば、如来の誓願には「義なきを義とす」とは、大師聖人(法然)の仰せに候いき。このこころのほかには往生にいるべきこと候わずと、こころえてまかりすぎ候えば、人の仰せごとにはいらぬものにて候うなり。諸事恐々謹言。(二)の㋩(宗祖返書) 安楽浄土にいりはつれば、すなわち大涅槃をさとるとも、滅度にいたるとももうすは、み名こそかわりたるようなれども、これはみな法身ともうす仏となるなり。法身ともうす仏をさとりひらくべき正因に、弥陀仏の御ちかいを、法蔵菩薩、われらに回向したまえるを、往相の回向ともうすなり。この回向せさせたまえる願を、念仏往生の願とはもうすなり。この念仏往生の願を一向に信じてふたごころなきを、一向専修ともうすなり。如来の二種の回向ともうすことは、この二種の回向の願を信じ、ふたごころなきを、真実の信心ともうす。この真実の信心のおこることは、釈迦・弥陀の二尊の御はからいよりおこりたりとしらせたまうべく候う。あなかしこ、あなかしこ。二月二十五日 親鸞浄信御坊御返事(三) 一 この御ふみのよう────この一通は、慶信の消息と宗祖の返信に関して蓮位が記した添状であ 紙面画像を印刷 前のページ p721 次のページ 初版p589・590へ このページの先頭に戻る