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ず。しかれば、如来の誓願には「義なきを義とす」とは、大師聖人(法然)の仰せに候いき。このこころのほかには往生にいるべきこと候わずと、こころえてまかりすぎ候えば、人の仰せごとにはいらぬものにて候うなり。諸事恐々謹言。

(二)の㋩(宗祖返書)

 安楽浄土にいりはつれば、すなわち大涅槃をさとるとも、滅度にいたるとももうすは、み名こそかわりたるようなれども、これはみな法身ともうす仏となるなり。法身ともうす仏をさとりひらくべき正因に、弥陀仏の御ちかいを、法蔵菩薩、われらに回向したまえるを、往相の回向ともうすなり。この回向せさせたまえる願を、念仏往生の願とはもうすなり。この念仏往生の願を一向に信じてふたごころなきを、一向専修ともうすなり。如来の二種の回向ともうすことは、この二種の回向の願を信じ、ふたごころなきを、真実の信心ともうす。この真実の信心のおこることは、釈迦・弥陀の二尊の御はからいよりおこりたりとしらせたまうべく候う。あなかしこ、あなかしこ。

二月二十五日     親鸞

浄信御坊御返事

(三) 一 この御ふみのよう────この一通は、慶信の消息と宗祖の返信に関して蓮位が記した添状であ