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るから、『御消息集(善性本)』(一)の㋑㋺㋩の次に掲載した。
(四) たずねおおせられて候う摂取不捨の事は、『般舟三昧行道往生讃』と申すにおおせられて候うを、みまいらせ候えば、「釈迦如来・弥陀仏、われらが慈悲の父母にて、さまざまの方便にて、我等が無上信心をばひらきおこさせ給う」と候えば、まことの信心のさだまる事は、釈迦・弥陀の御はからいとみえて候う。往生の心うたがいなくなり候うは、摂取せられまいらするゆえとみえて候う。摂取のうえには、ともかくも、行者のはからいあるべからず候う。浄土へ往生するまでは、不退のくらいにておわしまし候えば、正定聚のくらいとなづけておわします事にて候うなり。まことの信心をば、釈迦如来・弥陀如来二尊の御はからいにて、発起せしめ給い候うとみえて候えば、信心のさだまると申すは、摂取にあずかる時にて候うなり。そののちは、正定聚のくらいにて、まことに浄土へうまるるまでは候うべしとみえ候うなり。ともかくも、行者のはからいを、ちりばかりもあるべからず候えばこそ、他力と申す事にて候え。あなかしこ、あなかしこ。

十月六日     親鸞(花押)

しのぶの御房の御返事

(五) 一 性信御坊     親鸞
 信心をえたる人は、かならず正定聚のくらいに住するがゆえに、等正覚のくらいともうすなり。いまの『大無量寿経』に、摂取不捨の利益にさだまるを、正定聚となづけ、『無量寿如来会』