巻次 - 722頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 るから、『御消息集(善性本)』(一)の㋑㋺㋩の次に掲載した。(四) たずねおおせられて候う摂取不捨の事は、『般舟三昧行道往生讃』と申すにおおせられて候うを、みまいらせ候えば、「釈迦如来・弥陀仏、われらが慈悲の父母にて、さまざまの方便にて、我等が無上信心をばひらきおこさせ給う」と候えば、まことの信心のさだまる事は、釈迦・弥陀の御はからいとみえて候う。往生の心うたがいなくなり候うは、摂取せられまいらするゆえとみえて候う。摂取のうえには、ともかくも、行者のはからいあるべからず候う。浄土へ往生するまでは、不退のくらいにておわしまし候えば、正定聚のくらいとなづけておわします事にて候うなり。まことの信心をば、釈迦如来・弥陀如来二尊の御はからいにて、発起せしめ給い候うとみえて候えば、信心のさだまると申すは、摂取にあずかる時にて候うなり。そののちは、正定聚のくらいにて、まことに浄土へうまるるまでは候うべしとみえ候うなり。ともかくも、行者のはからいを、ちりばかりもあるべからず候えばこそ、他力と申す事にて候え。あなかしこ、あなかしこ。十月六日 親鸞(花押)しのぶの御房の御返事(五) 一 性信御坊 親鸞 信心をえたる人は、かならず正定聚のくらいに住するがゆえに、等正覚のくらいともうすなり。いまの『大無量寿経』に、摂取不捨の利益にさだまるを、正定聚となづけ、『無量寿如来会』 紙面画像を印刷 前のページ p722 次のページ 初版p590・591へ このページの先頭に戻る