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して、対機はみな権機なり。『観無量寿経』は、機の真実なるところをあらわせり。これすなわち実機なり。いわゆる五障の女人韋提をもって対機としてとおく末世の女人、悪人にひとしむるなり。『小阿弥陀経』は、さきの機法の真実をあらわす二経を合説して、「不可以少善根福徳因縁得生彼国」と等、とける。無上大利の名願を、一日七日の執持名号にむすびとどめて、ここを証誠する諸仏の実語を顕説せり。これによりて「世尊説法時将了」(法事讃)と等、釈 光明寺 しまします。一代の説教、むしろをまきし肝要、いまの弥陀の名願をもって、附属流通の本意とする条、文にありてみつべし。いまの三経をもって、末世造悪の凡機にときき(か)せ、聖道の諸教をもっては、その序分とすること、光明寺の処処の御釈に歴然たり。ここをもって諸仏出世の本意とし、衆生得脱の本源とする条、あきらかなり。いかにいわんや、諸宗出世の本懐とゆるす『法華』において、いまの浄土教は、同味の教なり。『法華』の説時、八箇年中に王宮に五逆発現のあいだ、このときにあたりて、霊鷲山の会座を没して、王宮に降臨して、他力をとかれしゆえなり。これらみな、海徳以来乃至釈迦一代の出世の元意、弥陀の一教をもって本とせらるる太都なり。

16一 信のうえの称名の事。
 聖人 親鸞 の御弟子に、高田の覚信房 太郎入道と号す というひとありき。重病をうけて御坊中にして獲麟にのぞむとき、聖人 親鸞 入御ありて危急の体を御覧ぜらるるところに、呼吸のいきあらくして、すでにたえなんとするに、称名おこたらず、ひまなし。そのとき聖人たずねおおせられてのたまわく、そのくるしげさに、念仏