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ゆえなり。ここをもって御釈 浄土文類 にのたまわく、「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」(正信偈)とみえたり。ただよく如来のみなを称して、大悲弘誓の恩をむくいたてまつるべしと。平生に善知識のおしえをうけて、信心開発するきざみ、正定聚のくらいに住すとたのみなん機は、ふたたび臨終の時分に往益をまつべきにあらず。そののちの称名は、仏恩報謝の他力催促の大行たるべき条、文にありて顕然なり。これによりて、かの御弟子、最後のきざみ、御相承の眼目、相違なきについて御感涙をながさるるものなり、しるべし。
17一 凡夫として毎事勇猛のふるまい、みな虚仮たる事。
 愛別離苦におうて、父母妻子の別離をかなしむとき、仏法をたもち、念仏する機、いう甲斐なくなげきかなしむこと、しかるべからずとて、かれをはじしめ、いさむること、多分先達めきたるともがら、みなかくのごとし。この条、聖道の諸宗を行学する機のおもいならわしにて、浄土真宗の機教をしらざるものなり。まず凡夫は、ことにおいて、つたなく、おろかなり。その奸詐なる性の実なるをうずみて賢善なるよしをもてなすは、みな不実虚仮なり。たとい未来の生処を弥陀の報土とおもいさだめ、ともに浄土の再会をうたがいなしと期すとも、おくれさきだつ一旦のかなしみ、まどえる凡夫として、なんぞこれなからん。なかんずくに、曠劫流転の世々生々の芳契、今生をもって、輪転の結句とし、愛執愛着のかりのやど、この人界の火宅出離の旧里たるべきあいだ、依正二報ともに、いかでかなごりおしからざらん。これをおもわずんば、凡衆の摂にあらざるべし。けなりげならんこそ、あやまって自力聖道の機たるか、いまの浄土他力の機にあらざるかともうたが