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乃至寝死までもみなこれ、過去の宿因にあらずということなし。もしかくのごとくの死の縁、身にそなえたらば、さらにのがるることあるべからず。もし怨敵のために害せられば、その一刹那に、凡夫としておもうところ、怨結のほか、なんぞ他念あらん。また寝死においては、本心いきのたゆるきわをしらざるうえは、臨終を期する先途、すでにむなしくなりぬべし。いかんしてか念仏せん。またさきの殺害の機、怨念のほか、他あるべからざるうえは、念仏するにいとまあるべからず。終焉を期する前途、またこれもむなし。仮令かくのごときらの死の縁にあわん機、日ごろの所存に違せば、往生すべからずと、みなおもえり。たとい本願の正機たりというとも、これらの失、難治不可得なり。いわんやもとより自力の称名は、臨終の所期、おもいのごとくならん定、辺地の往生なり。いかにいわんや、過去の業縁のがれがたきによりて、これらの障難にあわん機、涯分の所存も達せんこと、かたきがなかにかたし。そのうえは、また懈慢辺地の往生だにもかなうべからず。これみな本願にそむくがゆえなり。
 ここをもって御釈 浄土文類 にのたまわく、「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」(正信偈)とみえたり。ただよく如来のみなを称して、大悲弘誓の恩をむくいたてまつるべしと。平生に善知識のおしえをうけて、信心開発するきざみ、正定聚のくらいに住すとたのみなん機は、ふたたび臨終の時分に往益をまつべきにあらず。そののちの称名は、仏恩報謝の他力催促の大行たるべき条、文にありて顕然なり。これによりて、かの御弟子、最後の