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のあいだ、このときにあたりて、霊鷲山の会座を没して、王宮に降臨して、他力をとかれしゆえなり。これらみな、海徳以来乃至釈迦一代の出世の元意、弥陀の一教をもって本とせらるる太都なり。
(16)一 信のうえの称名の事。
 聖人 親鸞 の御弟子に、高田の覚信房 太郎入道と号す。 というひとありき。重病をうけて御坊中にして獲麟にのぞむとき、聖人 親鸞 入御ありて危急の体を御覧ぜらるるところに、呼吸のいきあらくして、すでにたえなんとするに、称名おこたらず、ひまなし。そのとき聖人たずねおおせられてのたまわく、「そのくるしげさに、念仏強盛の条、まず神妙たり。ただし所存不審、いかん」と。覚信房こたえもうされていわく、「よろこび、すでにちかづけり。存ぜん事、一瞬にせまる。刹那のあいだたりというとも、いきのかよわんほどは、往生の大益をえたる仏恩を報謝せずんば、あるべからずと存ずるについて、かくのごとく報謝のために称名つかまつるものなり」と云々 このとき上人、年来常随給仕のあいだの提撕、そのしるしありけりと御感のあまり、随喜の御落涙、千行万行なり。
 しかれば、わたくしにこれをもってこれを案ずるに、真宗の肝要、安心の要須、これにあるものか。自力の称名をはげみて、臨終のとき、はじめて蓮台にあなうらをむすばんと期するともがら、前世の業因しりがたければ、いかなる死の縁かあらん。火にやけ、みずにおぼれ、刀剣にあたり、