巻次
-
674頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

法闡提回心皆往」(法事讃)と釈せらるる、このゆえなり。
21一 一念にてたりぬとしりて、多念をはげむべしという事。
 このこと、多念も一念も、ともに本願の文なり。いわゆる「上尽一形」・「下至一念」と等、釈せらる。これその文なり。しかれども、下至一念は、本願をたもつ往生決定の時剋なり。上尽一形は、往生即得のうえの、仏恩報謝のつとめなり。そのこころ、経釈顕然なるを、一念も多念も、ともに往生のための正因たるようにこころえみだす条、すこぶる経釈に違せるものか。さればいくたびも、先達よりうけたまわり、つたえしがごとくに、他力の信をば、一念に即得往生ととりさだめて、そのとき、いのちおわらざらん機は、いのちあらんほどは、念仏すべし。これすなわち、上尽一形の釈にかなえり。しかるに、世の人つねにおもえらく、上尽一形の多念も、宗の本意とおもいて、それにかなわざらん機の、すてがてらの一念とこころうるか。これすでに、弥陀の本願に違し、釈尊の言説にそむけり。そのゆえは、如来の大悲、短命の根機を本としたまえり。もし多念をもって、本願とせば、いのち一刹那につづまる無常迅速の機、いかでか本願に乗ずべきや。されば真宗の肝要、一念往生をもって淵源とす。そのゆえは、願成就の文には「聞其名号 信心歓喜 乃至一念 願生彼国 即得往生 住不退転」(大経)ととき、おなじき『経』の流通には、「其有得聞彼仏名号 歓喜踊躍乃至一念 当知此人 為得大利 即是具足無上功徳」とも、弥勒に付属したまえり。しかのみならず、光明寺の御釈には、「爾時聞一念 皆当得生彼」(往生礼讃)とら、みえたり。これらの文証、みな無常の根機を本とするゆえに、一念をもって往生治定の時剋とさだめて、いのちのぶれば、自然と多念におよぶ道理をあか