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り、高山は微塵にはじまる」といえり。一念は多念のはじめたり。多念は一念のつもりたり。ともにもって、あいはなれずといえども、おもてとし、うらとなるところを、人みなまぎらかすものか。いまのこころは、一念無上の仏智をもって、凡夫往生の極促とし、一形憶念の名願をもって、仏恩報尽の経営とすべしと、つたうるものなり。

 元弘第一之暦 辛未 仲冬下旬之候、相当祖師聖人 本願寺親鸞 報恩謝徳之七日七夜勤行中、談話先師上人 釈如信 面授口決之専心専修別発願之次、所奉伝持之祖師聖人之御己証 所奉相承之他力真宗之肝要 以予口筆令記之。是往生浄土之券契、濁世末代之目足也。故広為湿後昆遠利衆類也。雖然於此書者守機可許之。無左右不可令披閲者也。非宿善開発之器者、痴鈍之輩定翻誹謗之唇歟。然者恐可令沈没生死海之故也。深納箱底輙莫出閫而已。

         釈宗昭

 先年如斯註記之訖、而慮外于今存命、仍染老筆所写之也。姓弥朦朧身又羸劣、雖不堪右筆残留。斯書於遺跡者、若披見之人、往生浄土之信心開発歟之間、不顧窮屈於燈下馳筆畢耳。

康永三歳 甲申 九月十二日、相当亡父尊霊御月忌故終写功畢。

         釈宗昭 七十五

同年十月二十六日夜、於燈下付仮名訖。