巻次 - 677頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 改邪鈔1一 今案の自義をもって名帳と称して祖師の一流をみだる事。 曾祖師黒谷聖人の御製作『選択集』にのべらるるがごとく「大小乗顕密の諸宗におのおの師資相承の血脈あるがごとく、いままた浄土の一宗において、おなじく師資相承の血脈あるべし」と云々 しかれば、血脈をたつる肝要は、往生浄土の他力の心行を獲得する時節を治定せしめて、かつは師資の礼をしらしめ、かつは仏恩を報尽せんがためなり。かの心行を獲得せんこと、念仏往生の願成就の「信心歓喜乃至一念」(大経)等の文をもって依馮とす。このほか、いまだきかず、「曾祖師 源空 祖師 親鸞 両師御相伝の当教において、名帳と号して、その人数をしるして、もって往生浄土の指南とし、仏法伝持の支証とす」ということをば。これおそらくは、祖師一流の魔障たるをや。ゆめゆめかの邪義をもって、法流の正義とすべからざるものなり。もし「即得往生 住不退転」(大経)等の経文をもって、平生業成の他力の心行獲得の時剋をききたがえて、「名帳勘録の時分にあたりて、往生浄土の正業治定する」なんどばし、ききあやまれるにやあらん。ただ別の要ありて人数をしるさば、そのかぎりあり。しからずして、念仏修行する行者の名字をしるさんからに、このとき往生浄土のくらい、あに治定すべけんや。この条、号するところ「黒谷・本願寺両師御相承の一流なり」と云々 展転の説なれば、もしひとのききあやまれるをや。殆信用するにたらずといえども、こと実な 紙面画像を印刷 前のページ p677 次のページ 第二版p825・826へ このページの先頭に戻る