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人をも、仏の大慈大悲、御覧じはなたずして、修諸功徳のなかの称名を、よどころとして現じつべくは、その人のまえに現ぜんとなり。不定のあいだ、「仮令」の二字をおかる。もしさもありぬべくはと、いえるこころなり。まず不定の失のなかに、大段、自力のくわだて、本願にそむき、仏智に違すべし。自力のくわだてというは、われとはからうところをきらうなり。つぎには、またさきにいうところのあまたの業因、身にそなえんこと、かたかるべからず。他力の仏智をこそ、「諸邪業繫無能碍者」(定善義)とみえたれば、さまたぐるものもなけれ。われとはからう往生をば、凡夫自力の迷心なれば、過去の業因、身にそなえたらば、豈に自力の往生を障碍せざらんや。されば多念の功をもって、臨終を期し来迎をたのむ自力往生のくわだてには、かようの不可の難どもおおきなり。
 されば紀典のことばにも、「千里は足の下よりおこり、高山は微塵にはじまる」といえり。一念は多念のはじめたり。多念は一念のつもりたり。ともにもって、あいはなれずといえども、おもてとし、うらとなるところを、人みなまぎらかすものか。いまのこころは、一念無上の仏智をもって、凡夫往生の極促とし、一形憶念の名願をもって、仏恩報尽の経営とすべしと、つたうるものなり。

元弘第一之暦 辛未 仲冬下旬之候、相当祖師聖人 本願寺親鸞 報恩謝徳之七日七夜勤行中談話、先師上人 釈如信 面授口決之専心専修、別発願之次、所奉伝持之祖師聖人之御己証、所奉相承之他力真宗之肝