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べきや。されば真宗の肝要、一念往生をもって淵源とす。
 そのゆえは、願成就の文には「聞其名号 信心歓喜 乃至一念 願生彼国 即得往生 住不退転」(大経)ととき、おなじき『経』の流通には、「其有得聞 彼仏名号 歓喜踊躍 乃至一念 当知此人 為得大利 即是具足 無上功徳」とも、弥勒に付属したまえり。しかのみならず、光明寺(善導)の御釈(往生礼讃)には、「爾時聞一念 皆当得生彼」とら、みえたり。これらの文証、みな無常の根機を本とするゆえに、一念をもって往生治定の時剋とさだめて、いのちのぶれば、自然と多念におよぶ道理をあかせり。されば、平生のとき、一念往生治定のうえの仏恩報謝の多念の称名とならうところ、文証・道理顕然なり。
 もし、多念をもって本願としたまわば、多念のきわまり、いずれのときとさだむべきぞや。いのちおわるときなるべくんば、凡夫に死の縁、まちまちなり。火にやけても死し、みずにながれても死し、乃至刀剣にあたりても死し、ねぶりのうちにも死せん。これみな先業の所感、さらにのがるべからず。しかるに、もし、かかる業ありておわらん機、多念のおわりぞと期するところ、たじろかずして、そのときかさねて十念を成じ、来迎引接にあずからんこと、機として、たとい、かねてあらますというとも、願としてかならず迎接あらんこと、おおきに不定なり。されば第十九の願文にも「現其人前者」(大経)のうえに、「仮令不与」とら、おかれたり。「仮令」の二字をば、「たとい」とよむべきなり。「たとい」というは、あらましなり。非本願たる諸行を修して、往生を係求する行