巻次 - 696頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 を受持せんや。「難以信斯法」の御釈、いよいよおもいあわせられて厳重なるものか。しるべし。 右此抄者、祖師本願寺聖人 親鸞 面授口決于先師大網如信法師之正旨、報土得生之最要也。余壮年之往日、忝従受三代 黒谷・本願寺・大網 伝持之血脈以降鎮蓄二尊興説之目足也。遠測宿生之値遇、倩憶当来之開悟、仏恩之高大、宛超于迷盧八万之巓、師徳之深広、殆過于蒼瞑三千之底。爰近曾号祖師御門葉之輩中、構非師伝之今案自義、謬黷権化之清流、恣称当教、自失誤他云々 太不可然不可不禁遏。因茲為砕彼邪幢而挑厥正燈録、斯名曰改邪鈔而已。建武 丁丑 第四暦季商下旬廿五日染〓【kan_a】訖、不図相当曾祖聖人遷化之聖日。是知不違師資相承之直語、応尊可喜矣。 釈宗昭 六十八本云貞和元歳 乙酉 十一月日書写之 釈従覚 五十一歳永享弐年九月十日 紙面画像を印刷 前のページ p696 次のページ 第二版p846・847へ このページの先頭に戻る