巻次 - 846頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 (20)一 至極末弟の建立の草堂を称して本所とし、諸国こぞりて崇敬の聖人の御本廟本願寺をば参詣すべからずと諸人に障碍せしむる、冥加なきくわだてのこと。 それ慢心は、聖道の諸教にきらわれ、「仏道をさまたぐる魔」と、これをのべたり。わが真宗の高祖光明寺の大師(善導)、釈してのたまわく、「憍慢弊懈怠 難以信此法」とて、「憍慢と弊と懈怠とは、もってこの法を信ずることかたし」とみえたれば、憍慢の自心をもって仏智をはからんと擬する不覚鈍機の器としては、さらに仏智無上の他力をききうべからざれば、祖師の御本所をば蔑如し、自建立のわたくしの在所をば本所と自称するほどの冥加を存ぜず、利益をおもわざるやから、大憍慢の妄情をもっては、まことにいかでか仏智無上の他力を受持せんや。「難以信斯法」の御釈、いよいよおもいあわせられて厳重なるものか。しるべし。右此抄者、祖師本願寺聖人 親鸞 面授口決于先師大網如信法師之正旨、報土得生之最要也。余壮年之往日、忝従受三代 黒谷・本願寺・大網 伝持之血脈以降、鎮蓄二尊興説之目足也。遠測宿生之値遇、倩憶当来之開悟、仏恩之高大、宛超于迷盧八万之巓、師徳之深広、殆過于蒼瞑三千之底。爰近曾号祖師御門葉之輩中、構非師伝之今案自義、謬黷権化之清流、恣称当教、自失誤他云々 太不可然不可不禁遏。因茲為砕彼邪幢而挑厥正燈録、斯名曰改邪鈔而已。建武丁丑第四暦季商下旬二十五日染翰訖、不図相当曾祖聖人遷化之聖日。是知不違師資相承之直 紙面画像を印刷 前のページ p846 次のページ 初版p695・696へ このページの先頭に戻る