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念仏を信ぜんひと、かならず往生の大益をうべしということ、うたがいあるべからず。かくのごとく、一向に行じ、一心に修すること、わが流のごとくなるはなし。さればこの流に帰して修行せんひと、ことごとく決定往生の行者なるべし。しかるにわれらさいわいにそのながれをくみて、もっぱらかのおしえをまもる、宿因のもよおすところ、よろこぶべし、とうとむべし。まことに恒沙の身命をすてても、かの恩徳を報ずべきものなり。釈尊・善導この法をときあらわしたまうとも、源空・親鸞出世したまわずは、われらいかでか浄土をねがわん。たといまた源空・親鸞世にいでたまうとも、次第相承の善知識ましまさずは、真実の信心をつたえがたし。善導和尚の『般舟讃』にいわく、「若非本師知識勧 弥陀浄土云何入」といえり。文のこころは、もし本師・知識のすすめにあらずは、弥陀の浄土いかんしてかいらんと、なり。「知識のすすめなくしては浄土にうまるべからず」とみえたり。また法照禅師の『五会法事讃』にいわく、「曠劫已来流浪久 随縁六道受輪回 不遇往生善知識 誰能相勧得回帰」といえり。この文のこころは「曠劫よりこのかた流浪せしことひさし、六道生死にめぐりて、さまざまの輪回のくるしみをうけき、往生の善知識にあわずはたれかよくあいすすめて弥陀の浄土にうまるることをえん」となり。しかればかつは仏恩を報ぜんがため、かつは師徳を謝せんがために、この法を十方にひろめて、一切衆生をして、西方の一土にすすめいれしむべきなり。『往生礼讃』にいわく、「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」といえり。こころは「みずからもこの法を信じ、ひとをしても信ぜしむること、かたきがなかにうたたさらにかたし、弥陀の大悲をつたえてあまねく衆生を化する、これまことに仏恩を報ずるつとめなり」というなり。