巻次 第三帖 800頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 心決定して念仏もうすべきなり。しかれば、世のなかに、ひとのあまねくこころえおきたるとおりは、ただこえにいだして、南無阿弥陀仏とばかりとなうれば、極楽に往生すべきようにおもいはんべり。それはおおきにおぼつかなきことなり。されば、南無阿弥陀仏ともうす六字の体は、いかなるこころぞというに、阿弥陀如来を一向にたのめば、ほとけその衆生をよくしろしめして、すくいたまえる御すがたを、この南無阿弥陀仏の六字にあらわしたまうなりとおもうべきなり。しかれば、この阿弥陀如来をば、いかがして信じまいらせて、後生の一大事をばたすかるべきぞなれば、なにのわずらいもなく、もろもろの雑行・雑善をなげすてて、一心一向に弥陀如来をたのみまいらせて、ふたごころなく信じたてまつれば、そのたのむ衆生を、光明をはなちて、そのひかりのなかにおさめいれおきたまうなり。これをすなわち、弥陀如来の摂取の光益にあずかるとはもうすなり。または、不捨の誓益ともこれをなづくるなり。かくのごとく、阿弥陀如来の光明のうちにおさめおかれまいらせてのうえには、一期のいのちつきなば、ただちに真実の報土に往生すべきこと、そのうたがいあるべからず。このほかには、別の仏をもたのみ、また余の功徳善根を修しても、なににかはせん。あら、とうとや。あら、ありがたの阿弥陀如来や。かようの雨山の御恩をば、いかがして報じたてまつるべきぞや。ただ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、こえにとなえて、その恩徳をふかく報尽もうすばかりなりとこころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。文明六年八月十八日5 そもそも、諸仏の悲願に弥陀の本願のすぐれましましたる、そのいわれをくわしくたずぬるに、すでに十 紙面画像を印刷 前のページ p800 次のページ 第二版p964・965へ このページの先頭に戻る