巻次
第三帖
801頁
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方の諸仏ともうすは、いたりてつみふかき衆生と、五障・三従の女人をば、たすけたまわざるなり。このゆえに、諸仏の願に阿弥陀仏の本願はすぐれたりともうすなり。さて弥陀如来の超世の大願は、いかなる機の衆生をすくいましますぞともうせば、十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人にいたるまでも、みなことごとく、もらさずたすけたまえる大願なり。されば一心一向にわれをたのまん衆生をば、かならず十人あらば十人ながら、極楽へ引接せんとのたまえる、他力の大誓願力なり。これによりて、かの阿弥陀仏の本願をば、われらごときのあさましき凡夫は、なにとようにたのみ、なにとように機をもちて、かの弥陀をばたのみまいらすべきぞや。そのいわれをくわしくしめしたまうべし。そのおしえのごとく信心をとりて、弥陀をも信じ、極楽をもねがい、念仏をももうすべきなり。
 こたえていわく、まず、世間にいま流布してむねとすすむるところの念仏ともうすは、ただなにの分別もなく、南無阿弥陀仏とばかりとなうれば、みなたすかるべきようにおもえり。それはおおきにおぼつかなきことなり。京、田舎のあいだにおいて、浄土宗の流義まちまちにわかれたり。しかれども、それを是非するにはあらず。ただわが開山の一流相伝のおもむきをもうしひらくべし。それ、解脱の耳をすまして、渇仰のこうべをうなだれて、これをねんごろにききて、信心歓喜のおもいをなすべし。それ在家止住のやから、一生造悪のものも、ただわが身のつみのふかきには目をかけずして、それ弥陀如来の本願ともうすは、かかるあさましき機を本とすくいまします、不思議の願力ぞとふかく信じて、弥陀を一心一向にたのみたてまつりて、他力の信心ということをひとつこころうべし。さて他力の信心という体は、いかなるこころぞというに、この南無阿弥