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兄弟」と、仰せられたれば、われも、その御ことばのごとくなり。また、同座をもしてあらば、不審なることをもとえかし、信をよくとれかしと、ねがうばかりなり」と、おおせられそうろうなり。
40一 「愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚のかずにいることをよろこばず、真証の証にちかづくことをたのしまず」(信巻)と、もうす沙汰に、不審のあつかいどもにて、「往生せんずるか」「すまじき」なんどと、たがいにもうしあいけるを、ものごしにきこしめされて、「愛欲も名利も、みな、煩悩なり。されば、機のあつかいをするは雑修なり」と、おおせそうろうなり。「ただ信ずるほかは別のことなし」と、仰せ候うなり。
41一 ゆうさり、案内をももうさず、ひとびとおおくまいりたるを、美濃どの、「まかりいでそうらえ」と、あらあらと御もうしのところに、仰せに、「さようにいわんことばにて、一念のことをいいてきかせてかえせかし」と。「東西をはしりまわりていいたきことなり」と、おおせ候うとき、慶聞坊、なみだをながし、「あやまりて候う」とて、讃嘆ありけり。みなみな、落涙もうすこと、かぎりなかりけり。
42一 明応六年、十一月、報恩講に御上洛なく候うあいだ、法慶坊、御使いとして、「当年は御在国にて御座そうろうあいだ、御講を、なにと御沙汰あるべきや」と、たずね御もうし候うに、「当年より、ゆうべの六どき・あさの六どきをかぎり、みな退散あるべし」との『御文』(帖外・明応六年十一月二十一日)をつくりて、かくのごとくめさるべきよし、御掟あり。御堂の夜のとまり衆も、その日の頭人ばかりと、御掟なり。また、上様は、七日の御講のうちを、富田どのにて三日御つとめありて、二十四日には、大坂どのへ御下向にて御勤行