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いそうろう。大事のことにて候うともうすことなり。ききまどいあるものなり。
49一 蓮如上人の御とき、こころざしの衆も御前におおく候うとき、「このうちに、信をえたるもの、いくたりあるべきぞ。ひとりかふたりかあるべきか」など、御掟候うとき、おのおの、「きもをつぶしもうしそうろう」と、もうされそうろうよしに候う。
50一 法慶、もうされそうろう。「讃嘆のとき、なにもおなじようにきかで、聴かば、かどをきけ」と、もうされそうろう。詮あるところをきけとなり。
51一 「憶念称名、いさみありて」(式文)とは、称名はいさみの念仏なり。信のうえはうれしくいさみてもうす念仏なり。
52一 『御文』のこと。「聖教は、よみちがえもあり、こころえもゆかぬところもあり。『御文』は、よみちがえもあるまじき」と、おおせられそうろう。御慈悲のきわまりなり。これをききながら、こころえゆかぬは、無宿善の機なり。
53一 「御流の御こと、このとしまで、聴聞もうしそうらいて、御ことばをうけたまわりそうらえども、ただ、こころが御ことばのごとくならぬ」と、法慶、もうされ候う。
54一 実如上人、さいさい仰せられ候う。「仏法のこと、わがこころにまかせず、たしなめ」と、御掟なり。こころにまかせてはさてなり。すなわち、こころにまかせずたしなむ心は、他力なり。
55一 「御一流の義を、うけたまわりわけたるひとは、あれども、ききうるひと、まれなり」といえり。信を