巻次 - 1037頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 (48)一 山科にて御法嘆の御座候うとき、あまりにありがたき御掟どもなりとて、これをわすれもうしてはと存じ、御座敷をたち、御堂へ六人よりて談合そうらえば、面々にききかえられそうろう。そのうちに四人はちがいそうろう。大事のことにて候うともうすことなり。ききまどいあるものなり。(49)一 蓮如上人の御とき、こころざしの衆も御前におおく候うとき、「このうちに、信をえたるもの、いくたりあるべきぞ。ひとりかふたりかあるべきか」など御掟候うとき、おのおの、「きもをつぶしもうしそうろう」ともうされそうろうよしに候う。(50)一 法慶、もうされそうろう。「讃嘆のとき、なにもおなじようにきかで、聴かば、かどをきけ」と、もうされそうろう。詮あるところをきけとなり。(51)一 「憶念称名、いさみありて」(式文)とは、称名はいさみの念仏なり。信のうえはうれしくいさみてもうす念仏なり。(52)一 『御文』のこと。「聖教は、よみちがえもあり、こころえもゆかぬところもあり。『御文』は、よみちがえもあるまじき」とおおせられそうろう。御慈悲のきわまりなり。これをききながら、こころえゆかぬは、無宿善の機なり。(53)一 「御流の御こと、このとしまで聴聞もうしそうらいて、御ことばをうけたまわりそうらえども、ただこころが御ことばのごとくならぬ」と、法慶もうされ候う。(54)一 実如上人、さいさい仰せられ候う。「仏法のこと、わがこころにまかせず、たしなめ」と御 紙面画像を印刷 前のページ p1037 次のページ 初版p864・865へ このページの先頭に戻る