巻次 - 866頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 うる機、まれなり、と、いえるこころなり。56一 蓮如上人の御掟に、「仏法のことをいうに、世間のことにとりなすひとのみなり。それをたいくつせずして、また、仏法のことにとりなせ」と、おおせられ候うなり。57一 聖教をすき、こしらえもちたるひとの子孫には、仏法者、いでくるなり。ひとたび、仏法をたしなみそうろうひとは、大様になれども、おどろきやすきなり。58一 たれのともがらも、われはわろきとおもうもの、ひとりとしても、あるべからず。これ、しかしながら、聖人の御罰をこうぶりたるすがたなり。これによりて、一人ずつも心中をひるがえさずは、ながき世、泥梨にふかくしずむべきものなり。これというも、なにごとぞなれば、真実に仏法のそこをしらざるゆえなり。59一 「みなひとの まことの信は さらになし ものしりがおの ふぜいにてこそ」、近松殿の、堺へ御下向のとき、なげしにおしておかせられ候う。「あとにて、このこころをおもいいだしそうらえ」と、御掟なり。光応寺殿の御不審なり。「ものしりがお」とは、われはこころえたりとおもうが、このこころなり。60一 法敬坊、安心のとおりばかり讃嘆するひとなり。「言南無者」の釈(玄義分)をば、いつもはずさずひくひとなり。それさえ、「さしよせてもうせ」と、蓮如上人、御掟候うなり。ことばすくなに安心のとおりもうせと御掟なり。61一 善宗、もうされ候う。「こころざし、もうし候うとき、わがものがおにもちてまいるは、はずかしき」よし、もうされ候う。「なにとしたることにて候うや」と、もうしそうらえば、「これは、みな、御用のものに 紙面画像を印刷 前のページ p866 次のページ 第二版p1038・1039へ このページの先頭に戻る