巻次 - 867頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 てあるを、わがもののようにもちてまいる」と、もうされそうろう。「ただ、上様のもの、とりつぎ候うことにてそうろうを、わがものがおに存ずるか」と、もうされそうろう。62一 津国ぐんけの主計ともうすひとなり。ひまなく念仏もうすあいだ、ひげをそるとき、きらぬことなし。わすれて念仏もうすなり。ひとのくちはたらかねば、念仏もすこしのあいだももうされぬかと、こころもとなきよしにそうろう。63一 仏法者、もうされ候う。「わかきとき、仏法はたしなめ」と、候う。「としよれば、行歩もかなわず、ねむたくもあるなり。ただ、わかきとき、たしなめ」と、候う。64一 衆生をしつらいたまう。しつらうというは、衆生のこころを、そのままおきて、よきこころを御くわえそうらいて、よくめされなし候う。衆生のこころを、みなとりかえて、仏智ばかりにて、別に御したて候うことにては、なくそうろう。65一 わが妻子ほど不便なることなし。それを勧化せぬは、あさましきことなり。宿善なくは、ちからなし。わが身をひとつ、勧化せぬものが、あるべきか。66一 慶聞坊のいわれ候う。「信はなくてまぎれまわると、日に日に地獄がちかくなる。まぎれまわるあらわれは、地獄がちかくなるなり。うちみは、信不信みえずそうろう。とおく、いのちをもたずして、今日ばかりと、おもえ」と、ふるきこころざしのひと、もうされそうろう。67一 一度のちがいが、一期のちがいなり。一度のたしなみが、一期のたしなみなり。そのゆえは、そのまま 紙面画像を印刷 前のページ p867 次のページ 第二版p1039・1040へ このページの先頭に戻る