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いのちおわれば、一期のちがいになるによりてなり。
68一 今日ばかり おもうこころを わするなよ さなきはいとど のぞみおおきに 覚如様御歌
69一 蓮如上人、仰せられ候う。「本尊は掛けやぶれ、聖教はよみやぶれ」と、対句に仰せられ候う。
70一 他流には、「名号よりは絵像、絵像よりは木像」と、云うなり。当流には、「木像よりはえぞう、絵像よりは名号」と、いうなり。
71一 御本寺北殿(野村御坊)にて、法敬坊に対して、蓮如上人、仰せられ候う。「われ、何事をも、当機をかがみおぼしめし、十あるものを一つにするように、かろがろと理のやがて叶う様に、御沙汰候う。是を人が勘えぬ」と、仰せられ候う。『御文』等をも、近年は、御ことばすくなにあそばされ候う。今は、ものを聞くうちにも、退屈し、物を聞きおとすあいだ、肝要のことを、やがてしり候うようにあそばされ候うの由、仰せられ候う。
72一 法印兼縁(本泉寺蓮悟)、幼少の時、二俣にて、あまた小名号を申し入れ候う時、「信心やある、おのおの」と、仰せられ候う。信心は、体、名号にて候う仰せ、今、思い合わせ候うとの義に候う。
73一 蓮如上人、仰せられ候う。「堺の日向屋は、三十万貫持ちたれども、死にたるが仏にはなり候うまじ。大和の了妙は、帷一つをもきかね候えども、此の度、仏になるべきよ」と、仰せられそうろう由に候う。
74一 蓮如上人へ、久宝寺の法性、申され候う。「一念に、後生御たすけ候えと、弥陀たのみ奉り候うばかりにて、往生一定と存じ候う。かようにて御入り候うか」と、申され候えば、ある人、わきより、「それはいつ