巻次 - 873頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 もしらぬとも、人に聖教をよませ、聴聞させて、信をとらするは、聖教よまずの聖教よみなり。聖教をばよめども、真実によみもせず、法義もなきは、聖教よみの聖教よまずなり」と、仰せられ候う。「自信教人信」の道理なりと仰せられ候う事。96一 「聖教よみの、仏法を申したてらるることは、なく候う。尼入道のたぐいの、「とうとや、ありがたや」と、申され候うをききては、人が信をとる」と、前々住上人、仰せられ候う由に候う。何もしらねども、仏の加備力の故に、尼入道などのよろこばるるをききては、人、信をとるなり。聖教をよめども、名聞がさきにたちて、心には法なき故に、人の信用なきなり。97一 蓮如上人、仰せられ候う。「当流には、総別、世間機わろし。仏法のうえより何事もあいはたらくべきことなる」よし、と、仰せられ候うと云々98一 同じく仰せられ候う。「世間にて、時宜しかるべき、よき人なりというとも、信なくは、心おくべきなり。便にもならず。たとい、片目つぶれ、腰を引き候うようなる者なりとも、信心あらん人をば、たのもしく思うべきなり」と、仰せられ候う由に候う。99一 君を思うは、われを思うなり。善知識の仰せに随い、信をとれば、極楽へ参る者なり。100一 久遠劫より久しき仏は、阿弥陀仏なり。かりに、果後の方便によりて、誓願を儲けたまうことなり。101一 前々住上人、仰せられ候う。「弥陀をたのめる人は、南無阿弥陀仏に身をばまるめたる事なり」と、仰せられ候うと云々 いよいよ、冥加を存ずべきの由に候う。 紙面画像を印刷 前のページ p873 次のページ 第二版p1045・1046へ このページの先頭に戻る